南高うめの歴史

南高うめの歴史
江戸時代、紀伊国田辺藩(紀州藩附家老)]初代藩主、
安藤 直次(あんどう なおつぐ)が治めていた土地
(みなべ町、田辺市)は、土地に栄養がなく作物が育ちませんでした。
その時「藪梅」をみた直次は
民衆にこれを育てれば年貢を減らすとして育てさせ
徳川幕府8代将軍頃には将軍も絶賛するほどの梅となりました。

明治時代に和歌山県の旧・上南部村(現・みなべ町)で
高田貞楠(さだぐす)が果実の大きい梅を見つけ、
高田梅と名付けて栽培し始めます。
1950年に「梅優良母樹種選定会」が発足し、
高田梅を最優良品種と認定。
調査に尽力したのが南部高校の教諭竹中勝太郎
(調査委員長、後南部川村教育長)であったことから、
高田の「高」と「南高」をとって南高梅と名付けられました。